カスタマーハラスメント(カスハラ)は近年深刻な社会問題となっています。顧客からの理不尽な要求や暴言・暴力によって、従業員のメンタルヘルスが損なわれるケースが増加しており、企業側の適切な対応が求められています。
本記事では、カスハラの法的判断基準や労災認定の要件、企業としての責任範囲から具体的な対策まで、企業が知っておくべき重要ポイントを解説します。従業員を守りながら顧客満足度を維持するために役立つ情報をお届けします。
カスハラとは?定義と具体的事例
カスハラは、顧客が従業員に対して行う不当な要求や言動によって、精神的・身体的苦痛を与える行為を指します。単なるクレームとカスハラの境界線を理解することが、適切な対応の第一歩となります。
カスハラの定義と一般的なクレームとの違い
カスハラは、顧客からの要求や言動が社会通念上不相当であると判断される場合に成立します。一般的なクレームとの大きな違いは、その「要求内容の妥当性」と「要求実現手段の相当性」にあります。クレームが商品やサービスの改善を目的とした正当な意見である一方、カスハラは過度な要求や不適切な態度を伴います。
例えば、オンラインショップで購入した商品に不具合があり返品・交換を求めるのは正当なクレームですが、些細な理由で深夜に店舗へ電話をかけ続ける、あるいは威圧的な態度で担当者を責め立てるといった行為は、要求の伝え方が社会通念上許容される範囲を超えているため、カスハラに該当します。
業種別にみるカスハラの具体例
業種によってカスハラの形態は異なりますが、特に顧客接点の多い医療機関やECサイト運営企業では以下のような事例が報告されています。
- 医療機関での事例:
- 診察時間外の診療強要や無理な薬の処方要求
- 待ち時間に対する激しい怒りや医療スタッフへの暴言
- 治療結果に満足できないとして過度な賠償要求
- SNSでの診療内容の誹謗中傷の示唆・脅迫
- ECサイト運営企業での事例:
- 明らかに使用済み商品の返品・全額返金要求
- 配送遅延に対する過剰な補償要求
- カスタマーサポートへの執拗な問い合わせや長時間拘束
- 商品レビューを人質にした不当な値引き要求
これらの事例に共通するのは、要求内容そのものの妥当性だけでなく、その伝え方や態度が社会通念上許容される範囲を超えている点です。
カスハラの法的判断基準とは
カスハラを適切に判断し対応するためには、法的な視点での判断基準を理解することが重要です。ここでは、カスハラを法的に評価する際の2つの重要な判断軸について解説します。
「要求内容の妥当性」
カスハラかどうかを判断する最初の基準は、顧客からの要求内容が社会通念上妥当かどうかという点です。この妥当性を評価する際のポイントとして、以下のような観点があります。
まず、要求内容が契約内容や法律の範囲内であるかどうかを確認します。例えば、クリニックでは保険適用外の治療を保険適用するよう強要すること、ECサイトでは明らかに自己使用後の商品の返品を要求することなどは、不当な要求に該当します。
また、要求内容が企業の提供するサービスや商品の瑕疵と合理的に関連しているかも重要です。例えば、商品の不具合に対して正当な交換や返金を求めるのは妥当ですが、軽微な不備に対して法外な賠償金や特別待遇を要求するのは、要求内容そのものが社会通念上不相当と判断される可能性が高いでしょう。
「要求実現手段の相当性」
要求内容が妥当であっても、その要求を実現するための手段や態様が社会通念上相当でなければ、カスハラとみなされます。この相当性を判断する際の主なポイントは以下の通りです。
まず、暴力・暴言や差別的発言などの明らかに許容されない行為は、要求内容の妥当性に関わらずカスハラです。例えば、医療機関で待ち時間が長いことへの不満は妥当でも、それを理由に医療スタッフに暴言を吐くことは許容されません。
また、要求を伝える時間帯や頻度も判断材料になります。ECサイトの問い合わせセンターに対して営業時間外に何度も電話をかけたり、同じ内容を繰り返し要求したりする行為は、たとえ内容自体が正当であっても執拗さゆえにカスハラと判断される場合があります。
さらに、特定の従業員を長時間拘束する行為や、対応した従業員を指名して処分を要求するといった行為も、要求実現手段として不相当と判断されることが多いです。
カスハラによる労災認定の要件と判断基準
2023年9月、厚生労働省はカスハラによる精神障害を労災認定の対象として明確に位置づけました。企業はこの基準を理解し、従業員の健康を守ると同時に、適切な対応策を講じる必要があります。
労災認定の要件:業務起因性と心理的負荷
カスハラによる精神障害が労災として認定されるためには、主に「業務起因性」と「強い心理的負荷」の2つの条件を満たす必要があります。まず業務起因性とは、発生した精神障害が業務に起因するものであることを意味します。カスハラの場合、顧客対応という業務の中で発生するものであるため、この条件は比較的容易に満たされます。
次に「強い心理的負荷」については、精神障害の発症前6ヶ月以内に、仕事関連の強いストレス(心理的負荷)があったかどうかが判断されます。厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」では、暴力・暴言を伴う顧客からの執拗なクレーム対応は「強」の心理的負荷として評価される可能性が高いとされています。
例えば、クリニックの受付スタッフが患者から繰り返し暴言を浴びせられた結果、うつ病を発症した場合や、ECサイトのカスタマーサポート担当者が特定の顧客から長期間にわたり威圧的な態度で対応を強いられ精神障害を発症した場合などは、労災として認定される可能性があります。
実際の事例にみる労災認定の判断基準
実際のカスハラによる労災認定事例を見ると、判断基準の実態がより明確になります。以下は代表的な認定事例です。
- 小売店の店員が顧客から商品の不備に関して1時間以上にわたり暴言を浴び続け、その後SNSでも誹謗中傷を受けた結果、適応障害を発症したケース
- 医療機関の看護師が、治療結果に満足しない患者から繰り返し威圧的な態度で詰め寄られ、さらに個人的な連絡先に何度も苦情の電話がかかってきたことでPTSD様症状を発症したケース
- ECサイトのカスタマーサポート担当者が、返品を要求する顧客からの脅迫的な言動に継続的に晒され、うつ病を発症したケース
これらの事例に共通するのは、単発のクレームではなく、継続性・反復性があること、そして暴言や威圧的態度など社会通念上許容されない方法で要求がなされていることです。また、企業側のサポート体制の欠如(一人で対応させ続けた等)も認定の判断要素となっています。
企業の責任範囲と法的リスク
カスハラが発生した場合、企業にはどのような責任があり、どのような法的リスクが生じるのでしょうか。ここでは企業が負う法的義務と、それを怠った場合のリスクについて解説します。
企業の安全配慮義務
労働契約法第5条では、使用者(企業)は労働者の安全に配慮する義務を負うことが明記されています。この「安全配慮義務」は、従業員の身体的安全だけでなく、精神的健康の保護も含みます。カスハラに関しては、企業は従業員がカスハラによって精神的・身体的健康を害さないよう、適切な職場環境を整える義務があります。
具体的には、カスハラの予防・対応策の整備、社内研修の実施、相談窓口の設置などが含まれます。特に医療機関では患者からの過度な要求や暴言、ECサイト運営企業では顧客からの執拗なクレームに対して、従業員一人に負担を背負わせない組織的な対応体制の構築が求められます。
例えば、クリニックでは複数のスタッフによる対応体制の確立や、緊急時の警備会社・警察への連絡手順の明確化が必要です。ECサイト運営企業では、問題のある顧客情報の共有システムや、エスカレーション(上司への引継ぎ)の基準を明確にすることが重要です。
安全配慮義務を怠った場合の法的リスク
企業が安全配慮義務を怠った場合、以下のような法的リスクが生じる可能性があります。
まず、従業員から損害賠償請求を受けるリスクがあります。例えば、カスハラの被害を訴えた従業員に対して適切な措置を取らなかった結果、その従業員が精神疾患を発症した場合、企業は民法第415条(債務不履行責任)または民法第709条(不法行為責任)に基づく損害賠償責任を問われる可能性があります。
また、労災認定されれば、労災保険料率の上昇にもつながります。さらに、従業員の離職率上昇や採用難など、間接的な経営リスクも発生します。
実際の判例では、顧客からの暴言に対して会社が適切な対応をせず、従業員が精神疾患を発症したケースで、会社に対して約1,100万円の損害賠償が命じられた事例があります。このように、企業がカスハラへの対応を怠ると、高額な賠償責任を負う可能性があるのです。
カスハラ対応のための企業の具体的対策
カスハラから従業員を守り、適切に対応するためには、企業として具体的な対策を講じる必要があります。ここでは、予防策と発生時の対応策について解説します。
予防策1:ガイドラインの整備
カスハラを予防するための第一歩は、明確なガイドラインの整備です。これにより、従業員は何がカスハラに該当するのか、どのように対応すべきかの判断基準を持つことができます。
まず、カスハラの定義と具体例を明確にしたガイドラインを作成しましょう。特に医療機関では患者からの無理な要求(診察時間外の診療要求など)、ECサイト運営企業では不当な返品要求や過剰な補償要求など、業種特有のカスハラ事例を盛り込むことが効果的です。
予防策2:対応手順と社内ルールの整備
次に、カスハラを受けた際の対応手順を明確化します。例えば、「対応可能な要求の範囲」「対応を中止する基準」「上司や同僚へのエスカレーション方法」などを具体的に定めることで、現場の判断に迷いが生じないよう明確な指針を提供することが重要です。
さらに、従業員の心理的負担を軽減するための「対応時間の制限」「複数人での対応原則」なども盛り込むとよいでしょう。例えば、一人の従業員が同じ顧客に30分以上対応し続けないというルールや、暴言・威圧的態度の顧客には必ず上司を交えて対応するなどの基準を設けることが効果的です。
対応策3: 報告・記録の仕組み構築
カスハラ発生時に備えて、報告・記録システムを整備しましょう。誰がいつどのような対応をしたかを記録することで、同じ顧客による反復的なカスハラの把握や、後の対応の参考にすることができます。クリニックでは患者カルテにカスハラ情報を記録する欄を設ける、ECサイトではCRMシステムに顧客対応履歴を残すなどの方法が効果的です。
対応策4:組織的サポート体制の構築
次に、深刻なカスハラに備えて対応チームを編成しましょう。個人の判断や対応力に任せるのではなく、管理職やハラスメント対応に慣れた経験豊富な従業員、場合によっては外部の顧問弁護士なども含めたチームで対応にあたる体制を整えます。こうしたチームによる組織的なサポートにより、現場の従業員がひとりで対応を抱え込むことがなくなり、心理的・実務的な負担を軽減することができます。
対応策5 : 被害を受けた従業員へのケアと配慮
また、カスハラ被害を受けた従業員へのケア体制も重要です。心理カウンセリングの提供や、必要に応じた業務調整(一時的な配置転換など)を行う体制を整えましょう。例えば、深刻なカスハラを受けた従業員には、その日は顧客対応から外し、心理的な負担を軽減するなどの措置が有効です。
カスハラ対応力を高める教育・研修
カスハラへの効果的な対応には、従業員への適切な教育・研修が不可欠です。企業として実施すべき研修内容と、その効果的な導入方法について解説します。
現場の従業員向けの研修
カスハラ対応の研修では、理論と実践の両面からアプローチすることが重要です。以下の要素を含む研修プログラムが効果的です。
まず、カスハラの基礎知識として、カスハラの定義、一般的なクレームとの違い、法的な判断基準などの理解を深めることが大切です。特にクリニックスタッフやECサイトのカスタマーサポート担当者など、顧客と直接対応する従業員には、具体的な事例を用いた判断基準の説明が効果的です。
次に、コミュニケーションスキルの向上を図ります。感情的になった顧客への対応技術、クレームとカスハラを見分ける判断力、自分自身の感情コントロール方法などを学びます。例えば、怒りを表す顧客に対して冷静さを保つ「クッション言葉」の使い方や、問題の本質を見極めるための質問技術などを実践的に訓練します。
さらに、カスハラ発生時の対応手順として、エスカレーションのタイミングと方法、記録の取り方、サポートを求める際の具体的手順などを習得します。特に重要なのは、「一人で抱え込まない」という認識を浸透させることです。
管理職向けの特別研修
カスハラ対応では、現場の従業員だけでなく管理職の役割も非常に重要です。管理職向けの特別研修では、以下のポイントを押さえることが大切です。
まず、カスハラの法的リスク理解として、安全配慮義務の内容や、義務を怠った場合の企業リスク、労災認定の要件と影響などを学びます。これにより、カスハラ対応の重要性を経営的視点から理解することができます。
次に、カスハラ発生時のチーム対応の指揮方法、エスカレーションされた案件への具体的対応手順、外部機関(警察・弁護士など)との連携方法などを習得します。例えば、医療機関での暴力的な患者への対応や、ECサイトでの悪質な返品要求への組織的対応方法などを、ロールプレイを通じて実践的に学びます。
さらに、部下のメンタルヘルスケアとして、カスハラを受けた従業員のストレスサインの見分け方、適切なフォロー方法、専門家への紹介タイミングなどを学びます。早期発見・早期対応により、深刻な精神疾患への発展を防ぐことができます。
外部機関との連携によるカスハラへのリスク対応
深刻なカスハラ事案に対しては、企業内での対応だけでなく、外部機関との適切な連携も重要になります。どのような機関とどのように連携すべきか、実践的なアプローチを解説します。
警察・弁護士との連携と通報基準
カスハラが暴力や脅迫など犯罪性を帯びる場合には、警察との連携が必要です。また、法的対応が求められる場合には弁護士の支援を受けることが重要です。
警察への相談・通報の基準としては、従業員の身体・生命に危険が及ぶ恐れがある場合(暴力行為や脅迫)、ストーカー行為のような継続的な迷惑行為がある場合などが挙げられます。例えば、クリニックで患者が医師や看護師に対して暴力をふるった場合や、ECサイトの顧客が従業員の個人情報を入手して自宅に押しかけるような行為があった場合は、躊躇せず警察に通報することが従業員を守る第一歩となります。
弁護士との連携は、悪質なクレーマーに対する法的対応の検討、内容証明の送付による警告、接近禁止命令の申立てなどの場面で効果的です。また、カスハラポリシーの法的チェックや、労災発生時の対応アドバイスなど、予防的な観点での連携も重要です。
労働基準監督署・産業医との連携
カスハラによる従業員のメンタルヘルス問題への対応では、労働基準監督署や産業医との連携も重要です。
労働基準監督署との連携場面としては、労災申請の相談・手続き、職場環境改善のアドバイス受領などがあります。従業員がカスハラによって精神疾患を発症した場合、労災申請の支援を行うことは企業の責務です。また、カスハラ防止に関する社内体制について、労働基準監督署のアドバイスを受けることも有効です。
産業医との連携は、カスハラを受けた従業員の健康状態の確認、就業上の配慮事項の助言、メンタルヘルスケアのアドバイスなどの場面で重要です。特に規模の大きい企業では、カスハラ対応マニュアルの作成段階から産業医の意見を取り入れることで、より実効性の高い対策が可能になります。
カスハラ対応と顧客満足度の両立
カスハラへの対応と顧客満足度のバランスを取るためには、「対応可能な範囲」と「対応すべきでない範囲」の線引きを明確にすることが重要です。
まず、顧客対応ポリシーを明文化し公開します。これにより、顧客側にも企業の対応範囲や限界を事前に理解してもらうことができます。例えば、クリニックでは診療時間や緊急対応の基準、ECサイトでは返品・交換の条件や対応時間帯などを明確に示すことが効果的です。
次に、対応不可能な要求の具体例を社内で共有します。これにより、現場での判断基準が統一され、従業員の心理的負担も軽減されます。「No」と言うべき場面での一貫した対応が、長期的には顧客からの信頼獲得にもつながります。
さらに、例外対応の基準と手続きも明確にします。特別な事情による例外対応が必要な場合でも、誰が判断するか、どのような手続きで行うかを明確にすることで、場当たり的な対応や従業員個人の判断による対応のばらつきを防ぐことができます。
まとめ
本記事では、カスハラの法的判断基準から労災認定の要件、企業の責任範囲、具体的な対策までを幅広く解説しました。カスハラから従業員を守り、適切に対応することは、企業の法的義務であるとともに、健全な企業経営のためにも不可欠です。
- カスハラは「要求内容の妥当性」と「要求実現手段の相当性」の2つの観点から判断する
- 2023年9月以降、カスハラによる精神障害は労災認定の対象として明確化された
- 企業には従業員を守るための安全配慮義務があり、怠ると損害賠償リスクがある
- 予防策として社内ルールの整備、対応体制の構築、従業員教育が重要
- カスハラ対応と顧客満足度の両立には、明確な「線引き」と一貫した対応が鍵となる
カスハラ対策の見直しを検討されている場合は、専門家のアドバイスを受けることをお勧めします。弁護士法人なかま法律事務所では、医療機関やECサイト運営企業など各業種に特化したカスハラ対策のコンサルティングを提供しています。「クライアントと向き合うこと」をポリシーとし、カスハラの予防から発生時の対応まで、企業の実情に合わせた実践的なアドバイスを行っています。また、代表弁護士は社会保険労務士の資格も有しており、カスハラ発生後の労務管理面でのサポートも万全です。カスハラでお悩みの際はぜひご相談ください。